■ WSF COLUMN

第一回 「それでもwindが好キ 好キ 大チュキ!!」 by Takuya Aoyagi

第一回は、私のWSF暦となぜ j-wind.net を立ち上げるに至ったかをお話します。

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 昭和38年1月25日、大雪の日に農家の三男として生まれた。幼い頃の私は、母親が”もしかしたら、喋れないかも?”と心配するくらい大人しかったようだ。しかし、小学校に入るやいなや、現在を連想させるようなマシンガントークを炸裂させるようになっていた。

 福岡の短大(法学科)を卒業後、臨時職員をしていた地元の農協に就職した。 同時にウインドサーフィン(WSF)をはじめるようになった。

 幼い頃から盆地で育った私にとって海は、特別な存在だった。小学生の頃には2、3年にたった一度しか行けなかった海は、とても大きく、また不思議な世界だったのだ。そうした事がキッカケだった。

 この時から、WSFは私のいろんな事を変えた。まずは、荷物が詰めるように車を変えた。道具を買うために節約した。パチンコと酒もやめた。極めつけに農協を”ドロップ・アウト”した。 今だから話せる事だが、会社を辞め、海に行った日のなんと辛さといえば、この上無いものであった。その事を後悔したのはそれが最初で最後であった。もちろん、その時の決断なくして、今現在の私は無いのだから。

 平成4年、WSF雑誌の一枚の記事が私を奮い立たせた。WSFが国体の種目になるというのだ。平成6年開催ならば、私にとってちょうどWSF10周年。それが迷惑をかけた親に対する私の出来る最高の親孝行だと思い、そこから国体出場への挑戦が始まった。
(当時29歳)

 いよいよ国体予選のスタート!平成5年の年間順位と平成6年の数回の結果 で、選手を選抜する事となった。だが、最終選考で3位。誰もが私の国体出場はあり得ないと思っていた。

 一度は、予選出場を諦める決意をしたものの、5歳違いの兄の痛烈な後押しにより、私は最終予選出場したのだった。

 最終予選は、2レースともトップでゴール。幸運にも国体選手になれた。

 国体終了後、私はレースを辞めた。
  「俺に出来る事はいったい何だ?」と自問自答の数年を過ごしていた。

 答えの出ないまま、私は友人の居るフロリダ州のタラハッシーへ旅だった。
20日間、アメリカを感じる事で、自分のスケールの小ささを実感したのだった。アメリカでのITの普及には目をみはる物があった。どんなに田舎のお店でも、ほとんどがホーム・ページを持っていて、そこから伝えたい情報をしっかりと発信していた。

 帰国後、約1年が過ぎた頃、検索エンジンで【ウインドサーフィン】と検索して様々なWEBページを検索していたが、物たりなさを感じている自分がいたのだった。
私にもやっとやりたい事がちらちらと見え始めていたのだった。

 WSFの未体験者に、また現役バリバリのセーラーにとって面白く、利用価値があって、WSF全体が元気になれる、そんなホームページを立ち上げたい!
そうした想いが、この J−wind.net を作る原動力となったのだった。

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J-wind.net 開設にあたって、ご協力頂いた多くの関係者の方々に感謝いたします。
そして、今後もこのJ−wind.net をよろしくお願いします。

===== 協力 =====
伊勢 努(てのまめ)、佐藤 孝(夢風童)、穴見 和彦(カレラ・ワークス)
シュリロ・トレーディング・カンパニー・リミテッド社
高橋 剛・山根 伸平(ハート・アット・ワーク)  (以上、敬称略)

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